2018/12/21
カテゴリー : 商い | アート文化
タグ : 宇治人 | 宇治
宇治で暮らす人、仕事をする人をご紹介する宇治人のコーナー。
宇治市観光協会の理事も務める、和夢兎 代表 古賀則行さんにお話しお伺いしてきました。
平等院表参道の中程にある和雑貨の専門店『和夢兎』は、今や常時1500品目以上の和雑貨が店内に並び、常に多くのしかも多国籍なお客さんがおられます。しかし、そのスタートはいきなり絶体絶命だったようです。
自衛隊や福祉のお仕事を経たあと、何千万という借金を抱えた家業を承継された古賀さんは、いかにして状況を挽回していかれたのでしょうか?
2日連続記事の1日目
和夢兎 代表 古賀則行さん
僕は元々自衛隊にいまして、デザインは何もしたことがなかったんですよ。
自衛隊!
勉強はしたいと思っていたので自衛隊の時にちょっとだけ貯めたお金で、自衛隊の後、介護福祉士の専門学校に行って資格を取りました。
自衛隊の後に福祉のお仕事ですか。なかなか振り幅が大きいですね。
専門学校の2年目に父が亡くなってしまい、家にお金がなくなってしまったんで、学校を辞めようとしたんですけど、 校長先生が無担保の奨学金制度を紹介してくれました。お陰で学校を卒業できて今があります。
その後は、宇治市の福祉サービス公社で募集があったのでそこで働きました。
それを経ていよいよ家業を継がれたと思うのですが、昔から雑貨を扱うようなお店だったんですか?
ここは元々父がやっていた寝具店で布団を作る工場でした。(平等院が)世界遺産になって人が沢山来るようになりまして、土産物なんかを置くようになりました。
お伺いする限りお父様が亡くなった後の状況は、なかなか経済的に大変そうです。
バブルがはじけた上に、父は連帯保証人にもなっていましたんで、何千万という借金が家にありました。その上、父が死んでしまって、更に酷いことになってしまいまして。
スタートは超マイナスだったんです。父が亡くなった段階で布団屋は廃業して、そこからは母に切り盛りしてもらって僕は外に勤める感じで。
僕がオーナーになったのは平成14年からで、それまでは掛け持ちをしながら(家業を)手伝っていました 。 ただ、母が切り盛りしてくれている間にも店の状況は悪くなっていました。
どんな心境でそれをご覧なってたんです?
やばい、と(笑)抵当に入っていたんで、家なくなってしまう。何もかもなくなってしまう、と。そこからのスタートです(笑)
いきなり絶対絶命のピンチからのスタートです。
この通りに雑貨を扱うお土産屋さんがなかったというのも救いだったかもしれません。お茶屋さんか飲食関連のお店ばかりでしたから。
お金ないんで外に勤めながら徐々に自分で店の改装を始めて。布団用の棚を抜いて塗装して手作りで今に至っています。
ものすごいマイナスの状態から引き継がれたわけですけれども、何とかやっていけると思えたのはいつぐらいからですか
僕が代表になる4、5年ぐらい前からですかね。あれ、ちょっといけるんちゃうかな、と
次回(明日)に続きます
屋号 | 和夢兎 |
住所 | 宇治市宇治蓮華12 |
営業時間 | 10:00~18:00 |
定休日 | 不定休 |
TEL | 0774-23-8184 |
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和夢兎でお仕事を始められるまで古賀さんはどのようなキャリアを歩んでこられたんでしょうか?