2019/01/20
家具店として創業70年を超えた、暮らし工房 家具のサワキさん。
宇治で唯一のタクシー会社「佐脇株式会社自動車部」として創業したものの、好きが高じて骨董品と茶道具の店へ業態変更。その後も「サワキタンス店」「家具のサワキ」「ラタンショップ 家具のサワキ」「ファニチャーHouseサワキ」と時代の変化と共に店名やコンセプトを変えてこられました。
しかし、昨年末においてその創業の地における営業を終了されました。閉店の理由をお伺いする前にまず、店主の佐脇 至さんにそのルーツ、変遷などをお伺いしてきました。
店主 佐脇 至さん
閉店前の 暮らし工房 家具のサワキさん
そうそう。宇治で唯一のタクシー会社。当時、流しはないんで。電話で呼んで来てもらうハイヤーみたいなやつです。
佐脇さん自身は創業者であるお爺さんの記憶はあるんですか?
勿論あります
物心ついた時、お爺さんは何のご商売されていたんですか?
それは家具です
では、タクシー会社をやっておられた期間というのはそれほど長くはなかったんですか?
どれくらいやってたかは覚えてないですけど、昭和初期、戦争までです。タクシー会社をやりながら骨とう品なんかが好きで、そっちの商売をやりたいと思ってたみたいで。
タクシーの権利を全部売って、骨董とか茶道具を売る商売を始めたんです。
今、このお店のある場所ですか?
そうそう、この地です。タクシーやってたのは京阪宇治駅の近くですけど
その時の屋号が「サワキタンス店」
そうですね
その後、佐脇さんのお父様が家業を継いだ。
そうですね。
その後、「家具のサワキ」「ラタンショップ 家具のサワキ」「ファニチャーHouseサワキ」と屋号がどんどん変わっていますけど、お父様が全部変えられたんですか
ラタンショップまでは親父です
ラタンて何なんですか?
籐てわかります?籐の家具。東南アジアとかにあるような家具。その時ブームでガーンと来てた時でラタンに専門にしよういうことでラタンばっかりやってたんですよ。
確かにそんな時期があった気がします。ところで、佐脇さんご自身は小さい頃から家業を継ぐと思ってました?
はい。思ってました。
家業がある場合、小さい頃は無意識のうちに家業を継ぐことを受け入れているんですが、思春期になった途端拒否反応を示すことがあったりもします。
佐脇さんご自身は家業を継ぐことに反発はなかったですか?
こんなことしたいというのは、ありましたよ。でも、そんなに大きくなかったので。 僕は子供の頃から料理人になりたいなという想いはあったんですけど、不器用やから無理やと思って
学業おわったらそのまま家業に入られたんですか?
一応、サラリーマンやってます。家具の業界で3年ほど
家業に戻られたきっかけは?
きっかけはここの建物を建て替えた時です。それきっかけです。
次回(明日)に続きます
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ホームページ見させてもらいますと最初はタクシー会社だったんですか?