2019/08/17
宇治橋のたもとにある通圓さんにお伺いし代表取締役の通円 祐介さんからお話を聞いています。創業以来859年に及ぶ歴史の中、倒産の危機はなかったのでしょうか?またそのルーツは?
859年です。1160年に橋守りとして宇治橋の管理を任されていることが、うちの初代の名前で記録されています。それより前は記録がなく分かっていないです。
宇治に限らず全国的にみてもかなり長い歴史を持つ会社なのではないですか?
帝国データバンクの調べでは日本で11番目に古い会社みたいです。最初は10番ぐらいだったらしいんですが、調査していくうちに他が出てきて11番目になりました。
1,000年の歴史があると自ら仰るような会社でも途中で代が途絶えていたり、確証がないところは帝国データバンクの調査には入ってきていないようです。
こちらの建物はどれくらいの古さなんですか?
建物は1672年の建物ですね。宇治の文化的景観に入っています。お茶は日本遺産になってるんですけど、その構成要素のひとつに建物も入れてもらっています。
859年の間、どのように事業が行われてきたんでしょうか?
昔、京都と奈良を結ぶにはこの宇治橋を通るしか交通手段がなく、交通の要所だったんです。 京都と奈良のどちらを朝に出発しても昼頃にここに着いたことから、当時、橋の管理を行う一方で道行く旅人の休憩所になりました。
あと、お茶が栽培されるようになると、お茶の販売もするようになりました。
その当時からお店はここの場所に?
はい、この橋のたもと東詰に。
ただ、橋が架け替えられる際には上に架けたり下に架けたりしますので、それとともに、幕府の手によって建物も建て替えられていました。
ですから、架け替えと同時に動いていたとは思います。
それほど長い間、ご商売を続けられた秘訣とか聞いたことあります?
父も私も思うところは、立地条件が良かったのと、商いをしているお茶が、世界的に有名な宇治茶となっていき、その発展とともにこの店は続いてきたということです。
特に家訓や社訓のようなものはないんですが、本業のお茶屋を大事にするということです。 本業を大切にして、儲かるからといってその手を広げすぎない。
今まで倒産の危機などはなかったんですか?
廃業の危機というのは戦争の時ですね。 第二次世界対戦の時に、ここの店を取り壊さないといけなくなっていました。
なぜ、取り壊しが必要だったんですか?
橋を壊すと交通が途絶えてしまうので、戦争の時には橋を攻撃されることが多かったんです。橋の真横にある建物なので、攻撃をされる可能性が高く、取り壊す日が決まっていたんですよ。
取り壊しの日の午前中に重大な発表があるということで、作業を一旦止めてラジオを聴いていると玉音放送で終戦の案内があり取り壊しを免れたのは一番の危機だったと祖父から聞いています。
次回(明日)に続きます
屋号 | 通圓 |
住所 | 宇治市宇治東内1番地 |
営業時間 | 9:30~17:30 |
定休日 | 年中無休 |
TEL | 0774-21-2243 |
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通圓さんは創業されてから何年になるんですか?