2019/02/12
小倉にある「和食屋 げん月」さんにお伺いし、代表の西山 政利さんにお料理の世界に入られたきっかけのほか、なぜ、日本料理を選ばれたのかなどお話聞いてきました。げん月さんのルーツを辿ると江戸時代にまでさかのぼるそうで・・・
和食屋 げん月 代表 西山 政利さん
この場所に来たのが2003年かな。
こちらに来る前の時代があったんですか?
ちょうど(近鉄の)線路沿いに私の実家がありまして、そこで店をやっていたんです。親がやっていたのを私が引き継いで3年ほどやって、そこから移転してきました。
もっと言うと江戸時代からやっていまして私で5代目なんです。
最初3代は岡山県で「料理旅館 弦月楼」という名前で料理旅館をやっていました。200坪くらいでその当時では珍しい3階建ての立派な建物だったんですけど。
そんなに歴史があったんですね
うちの親父がそこの一人息子で、本当は親父がそこを継ぐべきだったんですけど、京都に飛び出してきて、親父はサラリーマンやっていました。
小倉に越して来た時、僕たち子供も小さかったんで母がパートで外に行くわけにもいかず、家を小料理屋に改装して、そこで店をやろうという感じになって。
こうやって飛び出してきてしまったけれども、跡取り息子だったので名前ぐらいは継ごうということで、名前だけ継いでいます。
小さい頃から料理人になってお母様の店を継ごうという意識はあったんですか?
影響がなかったとは言いませんけど、僕、寿司屋になりたかったんですよ。とにかくお寿司が大好きで。
大学の卒業論文も「日本人はなぜ寿司が好きか」を書いたぐらい好きで。修行に行きたいと思ってたんですけど。
でも、行かなかった?
寿司屋に行こうかどうか迷ったんですけど、手がちょっと熱いんですよ。
体温がですか?
そうです。トロなどを握る時に手で溶けるんですね。そういう人もたまに居るらしいんですけれど、そういう人は氷水で手を浸して、握ったりされるんですよ。
(相談した)職人さんには日本料理を勧めてもらいました。
寿司も面白いけれど、日本料理は幅も広いし面白いし、どうしても寿司がやりたかったら日本料理をやってから寿司に行ってもいいわけだから、という話を聞いて。
確かにそれもそうやなと思って。たまたま、母のツテがあった女将さんに頼んで貴船の料理旅館に無理やり入れてもらいました。
結構厳しそうな世界です
そのときついた師匠は厳しい人でしたけど、便利なものはなんでも使えというような頭の柔らかい人でした。師匠には感謝しかありません。
お仕事の内容はいかがでした?
6年間ほぼ住み込みで。旅館なんで休みもないし、朝食からですから、朝めちゃめちゃ早いんですよ。普通で5時6時、ゴルフ行きますからとか言われたら4時。
当然一番下っ端がしないといけません。 夏場でしたら1日400人とか500人来られます。500人前の天ぷらを揚げたりしてたら嫌でも上手くなります。
さすがに大変ですね
中学校を出て料理の世界に入った人に比べたら、(大学を卒業してから入ったので)7年のブランクがあったわけですよ。
そのブランクを何とかして埋めようという気で頑張って、だいぶ短い期間で現場の2番手に上げてもらいました。和食の世界では2番手が基本的に現場を仕切るんです。
次回(明日)に続きます
和食屋 げん月 代表 西山 政利さん
3-1 江戸時代からやっていまして私で5代目なんです。
屋号 | 和食屋 げん月 |
住所 | 宇治市小倉町天王37−14 |
営業時間 | 昼11:30-14:00(つけ麺) 夜17:30-22:30(22:00LO) |
定休日 | 月曜日、月一回不定休 |
TEL | 0774-20-0931 |
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