2018/11/18
前日に引き続き有限会社山田車輌 代表取締役 山田 真也さん。
今回は、会社も山田さんもピンチを迎えていく様子をお話し頂きました。しかし、お父様が急逝されたお話しも、エースの社員さんに辞められたお話も、経営が行き詰ってしまったお話も、淡々としかも笑顔を浮かべながらお話しされていたのが印象的でした。
有限会社山田車輌 代表取締役 山田 真也さん
そうです。それで、親父が亡くなったんが、僕が24歳の時で
ホームページ拝見させて頂きますと亡くなったのが48歳となっています。お若いです。
でしょ。父は40歳で独立しました。バブルの真っただ中やと思います。 バリバリでしたね。寝ないで仕事してましたね。
無理がたたったのと、お酒が好きやったんとで、肝臓に癌ができて。 たった8年間しか経営できてなかったんですけど。小さい工場から始まって、一気に人も増やして、壮絶な内容だったと思います。当時は。
山田さん自身も、どんどん大きくなるのを目の当たりにされてました?
そうですね。 始めは一人で始めて、夜になったらアルバイトが集まってきて、夜中が勝負みたいな感じで。当時はバブルでしたからイケイケでしたね。 バブルが弾けて暇なときもあったんですけど
ただ、僕らの仕事は悲しいことに災害起こったりすると忙しくなるんですよ。当時、阪神大震災が起こって、その救助のために京都中のダンプが全部そっちに入って、京都のダンプが足らんようになって徹夜してつくってましたね。
お父様が亡くなったとき、山田さんは何をしておられたんですか?
学生していました。僕は社会人デビューが少し遅くて。24歳まで大学行ってましたから。
いきなり癌が見つかりまして、やっぱり若いと進行も早いんですね。結局その年の10月に亡くなりましたんでね。僕自身の甘い考えがありまして、親父が死んでから継いだんです。
もう少し修行させてもらってから継ぎたかったんですけど。従業員さんのこともありましたし。
ただ、そこからが大変でしたね。
山田さんがいきなりお父様の居なくなった会社に入られて、既存のスタッフから反発とかはなかったですか?
ありましたよ。できる営業の人ができる職人さんと辞めて独立されました。将来を不安視されたんでしょうね。
状況的にかなりやばいですね。
親父が亡くなって、どうしようか言う時に、僕は当時甘い考えで、「僕が戻ったらなんとかなるんや」という考えでいたんですよ
でも、入ってすぐわかりましたね。この職人たちはウチの親父に惚れてついてきてくれてたんやな、と。
お金も大事ですけど、お金よりもこの親方について行くという気持ちでいたんやということわかりました。職人達からするとついていく人がいなくなったというような感じだったんですよ。
会社の業績は維持できましたか?
当時はね、すっごい不景気やったんです。びっくりするくらい不景気やって。赤字赤字の連続でしたね。リーマンのもっと前やったんですけど。阪神大震災でトラックを作り過ぎて、ダンプが余ってる状態で。
どうやって乗り越えられたんですか?
営業さんに仕事を搔き集めてきてもらってたんですけど。 お袋にはすごい迷惑かけてたと思います。
もうダメや、もう会社たたまなあかんというところまで行きました。そのときに追い詰められて、製缶板金やろう、というきっかけになりました。
なるほど、そのタイミングで製缶板金のお仕事始められたんですね
ただ、当時はお金はなかったですけど、職人として自分が練習する時間はたっぷりあったんで、鬼残業して練習していました。
業界では、技術を身に着けるのに「溶接3年歪み10年」というんですけど。 みんなが10年かかるところを数年でマスターしてやろうと思って
覚悟がもう全然違いますね
(従業員さんのうち)独立した人もいましたけど、残ってくれた人もいて。いわば、僕に可能性をかけてくれたわけですよ。未だにやってくれてますけど、すごい感謝しています。僕に教えてくれて。 その時に言うてくれたんが、「お前の親父に世話になったんや」言うてくれて。
ヒトモノカネってあるじゃないですか。親父はあんまりお金は残してくれんかったけど、人を残してくれたんやなと思いました。
明日へ続きます
屋号 | 有限会社 山田車輌 |
住所 | 本社工場 宇治市槇島町目川56-1 第二工場 宇治市槇島町目川88-1 |
TEL | 0774-24-8248 |
・眠気を覚まして頭をスッキリさせたい ・仕事や勉強の途中で、ホッと一息つ...
萬福寺にある仏像「羅怙羅尊者像」(らごらそんじゃぞう)とい...
京阪宇治駅横に「みんなのき~すて~しょん Team U(てぃむ ゆう)」...
もし、宇治に住む人が宇治を1日観光するなら?という企画の二日目です。今回...
引き続きながの接骨院 院長 長野史人さんです。口では言えないぐらいのこと...
前回に引き続き人力車のえびす屋宇治店店長の佐藤正昭さんからお話を聞いてい...
六地蔵にある「うなぎのしお冨」さんにウナギ料理の体験に行ってきました。自...
黄檗と三室戸の間ちょうど中間あたりにあるアメ車に特化したモデルカーショッ...
1717年創業の能登椽 稲房安兼さんを代表する商品のひとつ茶団子はいつか...
引き続き六地蔵にあるHAMBURGER DINER BLUE PLANE...
会社を設立されたのはお父様ですか?