2019/09/1


カテゴリー : アート文化
タグ :

炭山にある暁陶房の笹谷 博さんからそのアイデアの源や「何も考えないで仕事できたのはバブルの時だけ」と仰るような事業の環境や変遷などをお聞きします。陶器に様々なアイデアを掛け合わせていくその柔軟さの源泉は?

暁陶房 笹谷 博さん

暁陶房さんは、いつからこちらで?

45年ぐらいかな。この組合が出来た時に市内にあった工房からこっちに移ったんです

その時は親父と僕とでやっていたんですが、僕が三十歳の時に親父が亡くなって、それから僕がやっています。 親父とやっていたのは5,6年なんですよ

最初は親父が生地を作って僕が絵を描く二人三脚でやっていたんですけど、僕が30歳のときに親父が死んで、粘土も僕が触らないといけないようになってしまって

後を継ぐことにあまり抵抗などはなかった?

元々美術が好きでしたからね、油絵描いたり、ずっとしていましたし

お父様の後を継ぐことは、小さい頃からある程度考えておられた?

全然思っていなかったです。高校の時は電子工業科行ってたんです。

そっちの方に行こうと思ってたんですけど、高校2年ぐらいの時に親父が独立してやりだして、手伝ってやらないかんかなというところから出発して。

(電気工学科行ってた)その辺の僕の感覚が他の陶器屋さんとちょっと違うんですね。

今回の焙煎機の開発を始め笹谷さんのアイデアの源になってるんですね。

当時はどんなものを作っておられたんですか?

普通に食器を作ってたんですけどね。

今は食器とかはどうなんですか?

今はほとんど売れてないし、あまり作っていません

今はどんなものを作っておられるんですか?

いっときは食器をいっぱい作っていたんですけど、そのぐらいの時から、そこに並んでるような小さな香立を一個づつ、手ひねりで作り始めました。

粘土の塊から一個づつ作り出されます。

時代が変わってご商売の内容なんかも変わってきた?

コロッと変わりましたね。 バブルの時だけですね、何も考えないで仕事できたのは

今後は焙煎機に注力されるおつもりですか?

何を思いつくかですね

耐熱用の粘土はまた違う粘土なんですね。それを使ってフライパンでも作ろうかな。人がやってへんところをね。 出来上がった陶器をみて気がついた問題点や日頃の好奇心から得た情報が、頭の中にたまっていて、それが突然、発酵して、泡みたいにポコッと浮かんでくるんです。

ただ、極端に言うとね作るのは簡単なんですよ、売るのがつくづく難しいなと思っています。

 

 

暁陶房 笹谷 博さん

2-1 焙煎女子も喜ぶクラウドファンディング

2-2 作るのは簡単、売るのがつくづく難しい

屋号 暁陶房
住所 宇治市炭山久田2番地7
TEL 0774-32-5909

 

 

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