2019/09/26
カテゴリー : アート文化
FM 宇治にて毎週水曜日 22 時放送『DUFF と VOG のラジオ学園』 メインパーソナリティーもつとめる宇治在住のシンガー「VOG」さんからシンガーとしてのルーツなどお話をお伺いします。
音楽で生計を立てられるようになるまでどう考え、どのように過ごされてきたのでしょうか?大きな声と顔をクシャクシャにして笑われるその様子が印象的でした。
結構ハスキーだったので、もともとは自分の声にコンプレックスがあって、歌うことはあまり好きではありませんでした。
小学校の時は人前で歌うのが恥ずかしかったんですけど、高校生ぐらいの時に修学旅行か何かの行事でバスの中で歌う機会があって
当時ラップをやっていた友達がフィーチャリングで歌ってくれと言われて一緒にコラボレーションしたのがきっかけで地元福岡のクラブのステージに立つようになりました。
そこから味をしめるようになって高校生の間活動してたんですけど、それでもその時これはずっと続けていくものではないなと思っていました。
なぜ続けていくものではないと思われたんですか?
音楽で生活するのは無理だろうなと思って、それで音楽の専門学校に行くのは諦めて、京都の大学に進学をすることになりました。
音楽を止めて違う夢を持って頑張ろうと、最初に選んだバイト先が御幸町の洋服屋さんだったんですよ。
でも、その時の店長が DJ をやっていて、それでまたクラブに行くようになって、そこから色んなつながりを通じてまた歌を歌うようになりました。
なにか導かれるようですね。それがいくつくらいの頃ですか?
20歳ぐらいです。それから大学の間はずっと音楽をやっていました。
VOGさんのルーツがわかってきました。 ただ、ミュージシャンを志した動機に「モテたかった」はありませんか(笑)?
大学に入ってから音楽を始めたのは確実にそれです(笑)
クラブで女の子に声かけたりするのに「ステージ立ってるほうが絶対に有利やん」と思って。それは絶対にありましたね(笑)
正直ですね(笑)
その後大学を卒業するタイミングで夢を追いかけて音楽を続けるか、就職して安定した仕事をするか迷いませんでしたか?
どうしようかなって迷っていた時に「一緒にダンススタジオやろう」て言ってくれた先輩がいたので、音楽を続けながらそのお手伝いをさせてもらったんですよ。
大学卒業して22歳ぐらいから25歳ぐらいまではダンススタジオのお手伝いをしていました。ただ、その期間があまりにも忙しすぎて、次第に音楽が出来なくなったんですよ。
どうされたんですか?
音楽に近い仕事を選んだはずなのに音楽できなくなったので、これは本末転倒だなと思って普通の就職をするのかそれとも歌をやるのか25歳ぐらいの時に改めて考えました。
そこでもやはり音楽を選ばれた?
音楽をまだやりたいなっていうのがあって、30歳ぐらいまでになんとか形を作ろうとまたバイトに戻りました。その時は室町の呉服屋さんでバイトを始めました。
精神的にしんどい期間が続きますね。音楽で生活できるようになった転機はどこだったんですか?
その後も鳴かず飛ばずの日々がずっと続いたんですけど、29歳の時につくった2枚目のアルバム↓がたまたま当たって iTunes で一位になったりしたんですよ。
音楽をやるのは30歳までと自分でも決めていたので、これで生活できるようにならなかったらやめてしまおうという作品でした。
30歳でようやく音楽だけで最低限の生活をすることができるようになりました。
次回(明日)に続きます
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